東京高等裁判所 昭和25年(う)2639号 判決 1950年3月11日
被告人
吉岡武
主文
本件控訴は之を棄却する。
理由
前略。次に論旨第三点について按ずるに、憲法第三十七条第二項が、刑事被告人はすべての証人に対し審問の機会を十分に与えられると規定しているのは、裁判所の職権により、又は訴訟当事者の請求により、喚問した証人につき反対尋問の機会を十分に与えなければならないというのであつて作成の際被告人に反対尋問の機会を与えない証人その他の者(被告人を除く)の供述を録取した書類は絶対に証拠とすることは許されないという意味を含むものではない。本件において、原審は証人染谷対三郎を公判廷に喚問して、被告人に同人を尋問する機会を与え、その供述と染谷対三郎に対する検察官の供述調書を対比し、後者を証明力ありと認め、且つ右検察官の供述調書は弁護人が原審公判廷において証拠とすることに同意したものであり、その作成又は供述されたときの状況を考慮し、相当と認めてこれを証拠としたものであることは、記録上明らかであつて、染谷対三郎の公判廷における供述と、右供述調書中の供述記載のいずれを採るかは証拠の取捨選択一般の場合を同じく原審専権に属するものであるから、所論のように原審が、右供述調書中の記載を証拠としたことを以て採証の法則に反したものということはできない。しこうして、検察官の右の供述調書そのものが、被告人に反対尋問の機会を与えないで作成されたものであるから、証拠とすることができないとの所論は、憲法第三十七条第二項は被告人に反対尋問の機会を与えない証人の供述調書は絶対に証拠とすることは許されないことを意味するという独自の見解に基くものであるから採用できない。